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Tさんの酒

入院中のKが酒を持って病院を脱走して来た。Tさんが買っておいた酒だという。入院したKは、末期の肺がんで長期入院をしているTさんと仲良くなった。気分の良い日二人で、非常階段に隠れて酒を飲んだ。煙草を吸った。一緒にこのブログを読んでいて、Tさんは「こいつに言いたい事がある。一緒に脱走して飲もう」と秘かに病院を抜け出して、酒屋に行った。しかしそれからすぐに体調が悪化し、死んでしまったのだ。

Kは体調の良い日があると、ずっと住んでいるこの町に帰って来る。顔を合わせると僕は、触れてはいけない事があるような気がして、いつも言葉を選んでいた。近代人が持つ陥穽に、僕たちもまたいつのまにか同じように落ち込んでいた。話してはいけない禁忌などあるわけがない。そうでないのなら話す必要もない。

Kは病院にある身近な死について話すようになった。死んでしまった彼女をずっと思い続けながら、病院の花壇の世話をしている青年、花火大会の夜、Kが子供の頃の浴衣を着せてあげて3日後に死んだ少女が残した似顔絵、そこにはいろいろな形の死があった。ひとりの例外もなくいつか誰にでも訪れる死、生まれた時から誰もが持つ事になる余命について、何度も話した。

小学生の頃、僕には死が最大の恐怖だった。その事を考えると、他の日々の出来事など何もかもがどうでもいい事のように思えた。この宇宙は無から始まり、無へと還ってゆく。考え続けていると、胸の奥に空虚な大きな穴がポッカリと広がっていた。どうしようもない気分に陥った。その穴を埋めるには、虚無自体に意味をみつけるしかない。そう思った。死ぬその時まで、人の死はどこまでいっても観念でしかないのだから。

死んだTさんはカメラマンだった。病院によく顔を出していたKの友人のS君も、Tさんの良い話し相手になった。Tさんは長い間手にすることのなかったカメラをまた持った。短い間だったが、S君が孤高に生きたTさんの最初で最後の写真の弟子になっていた。

Tさん、僕も話したかった。Tさんが戦場で見た他人の死、どうしてもシャッターをきる事ができなかったその死顔、そしてそう遠くはなく来るだろう自身の死について。軽々しく話すような事ではないと、人の心に踏み込むような事はするなと、やっかいな話は忌み嫌われるようになった。そこから逃げるばかりで、当り障りのない言葉しか返ってこないのが今だ。

Tさんは、僕になら何を言っても大丈夫だと思ったのだろう。僕も逆にそう思う。戦場に生き、家族と別れ、病院で一人暮らしをしていたTさんが背負い、考え続け、見つけた答が何かはわからない。そして僕にも答はある。その答え合わせをする事には意味があるとは思えない。ただ言いたい事を言い合いたかった。使う事を我慢していた言葉たち、誰にも言えなかった言葉たちを、僕たちの身体から解放させたかった。

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上の画像は10年位前、店の流しで写真を焼いていた頃のものだ。そこには10年前に植えた花、前の店、そしてその頃の僕がいる。今は、花が咲いていた場所には草が生い茂り、前の店があった場所は駐車場になっている。僕は…、10年後の今日もこうして生きている。やがていつか死は確実に訪れるが、明日の事は誰にもわからない。

漫画を描いているH君が顔をだした。H君はほんの一時期だが、精神を病んでいた事がある。中島らもの「いいんだぜ」という曲を聴きながら、H君はその頃の話をしていた。自然って何なんだ。普通って何なんだ。そんなものは人のどこにもありはしない。つまらない言葉に縛られるな。きちがいだっていいんだぜ、H君はそう言いながら友人の待つ飲み屋へ向った。僕は「もちろんOKだよ」と手を振った。
by nakagami2007 | 2009-09-01 15:17
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