久しぶりにTさんが珍しい本を持ってやってきた。Tさんは私がまだ自分で店を始める前の古本屋修行時代からのお客で、古本屋業界の事情にやたらと詳しいのだ。Tさんが「○○の店主が死んだね」「××の店主も死んだね」…と話だした。聞くと皆、私とたいして違わない年齢だ。「皆、苦労してたんだろうな。俺ももう古本屋店主の寿命が間近だねえ」と答えた。番頭のいるような老舗の店主も多かったのだが、そういった店は赤字をだした時もこっちとは桁違いなのだろう。今時、不良在庫を処分しようと思っても、引き受ける店などない。
たまに店に顔をだしていたお客から、出張買取の電話があった。電話の主のKさんは絵を描いているとその後知って、国立でやっていたグループ展に寄った。大量の本の持ち主はフリーの編集者である兄で、本好きがこうじて少しの間、ネット古書店のような事もやっていたという。本の山をみると確かに昔ながらの、古書店の棚に並べておきたい本も多かった。しかし売る自信がない。少なくとも短期間で買値を回収できるとは、とても思えなかった。編集者のKさんには相当不本意な金額だったろうけど、山で引き受ける事になって何度か軽自動車を走らせた。 車を走らせながら、落語の「花見酒」を思い出していた。良い酒を安く仕入れる事ができたので飛鳥山辺りで一儲けしようという二人組の話だ。途中で我慢できなくなって一人が金を払うから売ってくれといい、すると相棒も俺にも売ってくれといいだす。結局、同じ小銭が行ったり来たりしている内に、すっかり酔っぱらった二人は空っぽの桶をみて、「全部売れてるよ、いくら儲かったんだい」と懐を探ると、最初の小銭一枚しかなかったという話だ。古本もそうだ。古書店の値札票がついた本がしょっちゅう入って来る。ただ同じ本が業者の間をグルグル回っているだけのような気がする。花見酒のような心持ちでいられれば、それでよいのだが。 電子書籍の売り上げがアメリカでは既に、紙の書籍の2倍近くになっているという。もちろん、紙媒体がなくなる事はないだろう。テレビが出現して、映画や演劇は、また伝統芸能なども何度か危機はあったが、縮小しながらもそれを乗り越えてきた。情報を得るだけの実用書などは紙媒体でなくともかまわない。動く画像や正確な地図などもつけられるようになれば便利だ。内容だけでなく、装丁や造本の在り方も含めて、長くその形で残しておきたいという物だけが残って行くのだろう。漫画専門店がブームになった頃には、その分野でさまざまな付録をつけたコレクターズアイテムの限定本が造られた。しかしそれも今ではまったく需要がない。 買入は年々少なくなるばかりだが、それでも一瞬で本の山に埋もれてしまって、手がつけられなくなる。古本屋とは、そういうものだ。しかしそれらのほとんどすべてが、ネット上に溢れかえっている品だ。「ゴミだと思うけど、ちょっと来てみてもらえる」というたよりない電話の中にこそ、まだ他店が扱っていないような珍しい品があるかもしれないと、あてもなく猛暑の中をまた車を走らせている。迷走し、本に埋もれ、支払いに追われ、そうこうしているうちになんとなく、古本屋店主の寿命はくるのだろう。
by nakagami2007
| 2010-07-24 21:20
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