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センチメンタルな散歩

たばこと塩の博物館で「大見世物展」をやっているのででかけた。渋谷駅周辺はいつもと変わらない人ごみでうんざりする。公園通りのパルコを過ぎると、ようやく普通に息ができるようになる。渋谷によく来ていたのは10代の頃だ。授業をさぼって来た。パルコができ、東急本店ができ、109ができて、センター街周辺はまったく別のつまらない街に変わっていった。あっというまに怪し気な大人は生息できない街になっていた。渋谷に来ると現在と10代の頃の過去の光景が交錯するのだ。

たばこと塩の博物館はパルコの先の右側にある。「大見世物展」の入場料は普段の100円よりは高いが、それでもたった300円の過去への入口である。いつもの4階企画展示室だけでなく入口から展示があり、心地よい雰囲気が漂い、口上を交えた解説も愉しい。観終えて公園通りを戻ると、パルコの手前から東急本店の方へ裏道を歩く事にした。そのあたりは、まだ昔の面影が少しは残っている。そこを曲がらずに公園通りをまっすぐ行けばパルコの向こうが山手教会でそこの地下にジャンジャンがあった。今は喫茶店のルノワールになっている。

遠い日、新宿の東口を降りて、紀伊国屋書店へと歩いていた。けだるい朝だった。ふと顔をあげると、前から女の子が真直ぐに歩いて来る。向こうが避けるだろうとそのまま歩いていると互いによける事もなく、顔を見合わせて佇んでいた。何を言ってよいのかわからず、思わず「ジャンジャンへ行こう」と言った。その頃のジャンジャンでは空いている時間にバンドの公開練習をしていた。その日は「M」というバンドだった。退屈しかけた頃、客席にいたらしいジャズドラマーの豊住芳三郎が「太鼓を叩かせてくれ」とステージに上がった。ドラムスが変わると曲の雰囲気も一変していた。それは刺激的な光景だった。

東急本店の裏手にでると、そこからON AIRの方へ行く事にした。このあたりから松濤、円山町、神泉のあたりはそれほど変わっていない。坂を上ると、すぐその横の左側一角が百軒店である。ON AIRの手前を曲った突き当たりの稲荷の手前にピンク映画館があった。午前中に入れば早朝割引で150円位だったと思う。18歳未満の制服でも、窓口の子はかまわずに入れてくれた。山本晋也を観て笑い、若松孝二を観ると暗くなった。

ピンク映画館のあった場所を背にすると、その狭い長方形の一帯の奥右角にジャズ喫茶のスイングがあった。落ち着いた店だったが、いつもアルバート・アイラーやファラオ・サンダース、ニュージャズばかりをリクエストして顰蹙だった。その斜め前あたりにあったのはブラックホークだ。ウエストコーストの店でここでは大きなグラスと瓶のままでてくるコカ・コーラをいつも頼んだ。ニール・ヤングを初めて聴いたのはこの店だ。BYGやライオンは今でもまだある。道玄坂からの百軒店入口、道頓堀劇場の前にある狭いニ階屋もジャズ喫茶だった。今は焼き鳥屋になっていただろうか、数人も入れば一杯の店だった。

新宿木馬でジャズを聴いていると、後ろから肩を叩かれたことがある。振り返ると後ろの席に座っていた女の子からメモを渡された。そこには「この曲、好き?」と書いてあった。それからジャズの話をしながらあてもなく歩いた。そして入ったのが、名前も忘れてしまった渋谷のニ階屋の狭いジャズ喫茶だった。その店はジャズとあったが特にジャンルにこだわってる風ではなかった。数人でぎっしりのニ階で筆談をしながら、その日そこでジャニス・ジョプリンジミ・ヘンドリックスを知った。

百軒店を抜けて、道玄坂を渡った向こう側を坂と平行に走っていたのが玉電である。東横線で帰った方が近いのだが、薄暗い246を多摩川へと向かう玉電が好きだった。東横線の高架からみるどこも同じ住宅地の風景は味気ないし、玉電は運賃も安かった。

道玄坂から井の頭線の改札のあるビルを通り抜け、東横線の方からハチ公前に戻った。スクランブル交差点の山手線寄りにあった路地の突き当たりがらんぶるという名曲喫茶だった。100円のモーニングサービスのコーヒーをよく飲みに行った。その頃はクラシックはストラヴィンスキーばかり聴いていた。朝っぱらからストラヴィンスキーなどと今では思うが、顔馴染みになった店の子が自然とかけてくれるようになっていた。

山手線をくぐって右方向に行くと今は改装中の文化会館、その先東横線と平行に行けば天井桟敷館があった。その先はウインズ渋谷、ここは今も変わらない。

ある日、天井桟敷館の前の歩道橋の上でぼんやりと煙草を吸っていた。すぐ近くで同じように煙草を吸っていた女の子がこちらを向き、突然「明日、会おう」と言った。どうやら、その日天井桟敷館で公演をしていた知らない劇団の関係者らしかった。ポケットからありったけの小銭をとりだすと、彼女もまた同じように何枚かのコインをとりだした。その日と翌日の往復の交通費を除けると、何枚かが残った。「ぴったり二人分のコーヒー代がある」と彼女は笑った。翌日の渋谷は雨に煙っていた。

やはりその頃、新宿のすばるビル屋上で天井桟敷の公演「人力飛行機ソロモン」を観た。すっかり遅れてエレベーターに乗ると、偶然後から黒のライダースーツに長い髪の女の子が乗って来た。彼女はマンディアルグの「オートバイ」を映画化した、「あの胸にもう一度」の登場人物そのままだった。「バイクに乗ってみたい」と言うと、芝居が終わった後、バイクの後ろに乗せてくれた。元暴走族のヘッドだったという彼女はぐんぐんとスピードをあげていく。彼女の細い腰につかまりながら、ものすごい勢いで現れては消えていく夜景を呆然と見ていた。

渋谷の駅前から宮益坂、青山の方へと歩く事にした。坂を上がりきった左側に詩集専門の中村書店がある。そこは今でも変わらずにあったが、残念ながら日曜が休みらしくその日は閉っていた。10代の頃はよく来たが、買う事はできなかった。何千円、あるいは何万とついた値段をみてそっと棚に戻すばかりだった。
その先にあったのがVAN99ホールで、そこでは天井桟敷のシーザーのコンサートを観た。

そこからさらに歩くと表参道の交差点にでる。この交差点の渋谷方面から来ると手前右側の小さなビルの2階にギャラリー360°がある。現代アートのファンにはお馴染みの店だ。100円程度の絵はがきから、貴重な品も買いやすい値段で売っている。ギャラリースペースでは独自の面白い試みをしていて、その案内は届いていたのだが日曜が休みのためにずっと来る事ができなかった。その日はたまたま開いていたので寄る事ができた。蒐集には興味がなく買った品もすぐに手放してしまうのだが、ここで買った「フルクサス・トランク」はずっと持っている。

さらにしばらく行くと、絵画館前の銀杏並木にでる。もう時期も過ぎたと思っていたが、テレビドラマでもお馴染みのその場所は、人が溢れていた。風に吹かれて銀杏の葉がザーッと散る。舗道は黄色の絨毯で隙間なく埋もれていた。このあたりでワンカップというのも似合わない。ワインをあけて、瓶のまま飲みながら信濃町、四谷三丁目、新宿六丁目へと歩いた。

気がつくと北新宿の迷宮の城、ドン・キホーテの前にいた。その横の路地を入ると、そこは異界への入口だった。「猟奇的な彼女」の町があった。猥雑で活気溢れる町、大久保から新大久保のあたりは人で溢れていたが、渋谷とは別の面白い町へと変化をしていた。

歩き続けて、東中野にでた頃には疲れ果てていた。銭湯のアクア東中野で休憩する事にした。そこからまたもう少しと重たくなった足で歩き、早稲田通りから灯りのみえている路地に入った。そこもまた異国の言葉がとびかう、遥かな遠い地に変貌していた。中野駅に続くそのあたりはいつのまに変化したのだろう。大久保や中野付近は刺激溢れる異境になっていた。

こういった町はこれからも増え続け、路地を網の目のように侵食していき、散歩の途中の僕らを迷宮と活気ある異界へと誘ってくれるだろう。それは渋谷や六本木や大勢の人がただ行き交うだけの街と重なりあいながら、交わらずにそこにある。過去と未来、異境への入口はすぐそばにある。しかしその場所にいたとしても、そこは気づけない人にはいつまでも存在しない場所なのだ。

      '03.12.10.
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by nakagami2007 | 2003-12-10 14:01