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15歳の夏休み

7月のある日、この店鋪の契約切れを待って老朽化した建物を解体したいという話があった。契約期間は来年の11月末と猶予はまだまだたっぷりとある。しかし今までは漠然と考えていた店の将来が、期限付きの現実になった。倉庫を借りて住まいを事務所にする、倉庫兼事務所にする、店鋪を続けるという選択肢があるのだが、結局は家賃次第なのである。自分の好きな品を並べた理想の店鋪をつくりたいという思いは、今はなくなった。そういう品は店では簡単には売れない。1960年代のパンフやチラシ、古いコンサートパンフにレコード、懐かしい芸能音楽雑誌、演劇などのポスター、珍しい小説といったようなものはすべてネットで売った。今では店に持込まれる、他では扱わないような思いもよらない品をどうするかが面白くなった。一度やめてしまえば、もう店をやる事はできないだろう。小売店はどこも、毎月数万程度の支払いにも頭を痛めているのだ。

とりあえずは仕事後の一杯、何気なくテレビの旅番組をみていた。画面に見覚えのある祭りが映し出された。能登の祭りである。15歳の時に行ったことがある。高校に入学した年だ。夏休みにその頃住んでいた世田谷から北陸を回り、愛知の親戚の家までの自転車旅行を計画した。両親が割とあっさり納得したのは、同じ年の従兄弟が北海道から愛知まで自転車で縦走するという計画をたてていたからだ。親父が国鉄職員だった従兄弟と違って、自転車と人の運賃がだせない事もあり、北陸を回るルートを決めたのだった。スポーツタイプの自転車を買う費用と旅行費を稼ぐために、4月から新聞配達を始めた。自転車での配達では数をこなせない。一部配って一円位だったので、一日の稼ぎは200円にもならなかったと思う。しかも朝4時に起きるのはつらい。時々寝過ごしてしまうと、販売店のおかみさんが起こしに来てくれた。たいして役にたたないバイトだったが、話を聞いたおかみさんが協力してくれたのだった。

結局、予定日までにはすべての費用を稼ぐ事はできなかった。不足分を親に立て替えてもらった。旅行費用は5千円。いざという時のための飯盒にいれた米と寝袋を積んで出発した。初日夕方に大月についた。その頃でも学校や駅に人を泊める事には厳しくなっていた。駅の待合室もシャッターをおろしてしまう所が多くなっていた。それでもまだ15歳だった強みである。大月の高校に行くと若い教師が宿直室に泊めてくれるといった。その夜は、大人になったような気分で語っていたような気がする。翌朝、当直あけだった教師は「甲府に着いたら寄りなさい」と自宅の地図を書いてくれた。その日は車で昇仙峡などを案内してもらい、夜は自宅にお世話になった。順調な滑り出しだった。山の駅の待合室で眠る事も楽しかった。松本に着き、標識を見ると「美ヶ原」まで数キロとあった。地名をみて寄りたくなった。飲み物を買った店で聞くと、「すぐじゃがね」と婆さんが言った。

上り道はつらかった。ずっと自転車を押して登った。何もないので、道路横に流れていた泥水を飲んだ。ようやく駐車場と売店のある場所に着いた頃には夕方に近かった。案内板をみると、そこからしばらく歩かないと見晴らしの良い場所にはいけないらしい。そこで、すぐに折り返す事にした。下りはあっという間と思ったのだが、しばらくして自転車がパンクした。修理する気力はなく、もう一度売店まで引き返す事にした。閉店の片づけをしていた店主に「どこでもいいから、寝かせてもらえませんか」と聞いた。夏は悪い事をする若い連中も多いようで、良い返事はもらえなかった。動けずにいると、「鍵をかけるけど、倉庫でいいか」と言われた。有り難かった。疲れと泥水を飲んだせいか吐き気がしていて、とにかく寝たかった。灯りもない別棟の6畳位の倉庫だった。牛乳とアンパンを持って来てくれ、「朝に来るから」と外から鍵がかけられた。

糸魚川では宿が決まってないという自転車旅行をしていた3人組と、寺の本堂に泊めてもらった。同じ位の年と思いこんで、住職との交渉も一人で気負っていた。夜、話をして大学生とわかった。彼らは懸命に背伸びしている高校生に苦笑していたに違いないが、楽しい夜になった。缶ビールを御馳走になり、夜更けまで話した。それから能登半島を北上していて、テレビにでていた祭りに出会ったのだ。夕方、食堂に入ると店の主人が話しかけてきた。そして、店員の少女に「今日はもういいから、祭りを案内してあげなさい」と小銭を渡した。その少女は近くの村の出身で、中学を卒業して食堂で働いていると言った。私より1~2歳年上のようだった。楽しい時間はあっという間に過ぎ、その夜の寝場所が気になっていた。「もう、いかなくちゃ」というと、彼女は小さながま口をだした。その中には500円玉が一枚だけあった。取り出すと「持っていって」と言う。「お金はもらえません」というと、大人びた表情で「子供のくせに」と笑った。「今年は弟に会えないから」と掌に握らせた。バッグの奥にあった、お袋に無理矢理持たされた御守袋の中に500円玉を入れておく事にした。

その日は祭りを思い出しながら、野宿をした。その後も駅や学校の宿直室に泊めてもらったりもした。旅行費用はほとんど水分補給に消えてしまっていたが、いろんな方の世話になった。飯盒の米も役にたった。そして10日目の夕方、岐阜から愛知に入る橋に着いた時には、もう一銭も残っていなかった。その橋は有料で、自転車は50円とあった。その時、御守袋の中の500円玉を思い出した。あの時の少女に助けられた。食堂で忙しく動き回っていた彼女の姿を思い出して、胸が熱くなった。
それから親父の兄である瀬戸の親戚の家に寄つた後、従兄弟の住む知多へ向かった。従兄弟の家で連絡を待っていると、「東北にいる」とのんびりした電話があった。到着はまだまだ先のようだった。懐には瀬戸の親戚で貰った小遣いがいくらかある。そこで奈良から京都の方へと寝袋をかついで、今度はヒッチハイクの旅に出る事にしたのだった。  

      '06.8.30
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by nakagami2007 | 2006-08-30 14:21

猫町に行った日

猫のいない日々はさみしい。結局、すぐに生後3ヶ月位の牡がやってくる事になった。これまでに偶然出会い、つきあうことになった何匹かの猫たちは、不思議と妙齢の牝ばかりだった。若い男とはつきあった事がない。やってきた猫は手足と顔が妙に細長く、鼻が大きくて茶色だった。可愛い仔猫の時期は過ぎていて、不細工で頭も悪そうにみえる。その馬鹿っぽさがどこかガクトというミュージシャンに似ているので、名前はガクにした。
若い牡とのつきあいは、これまでとはまったく違っていた。来たその日から足に飛びついてくるし、背中にも登ってくる。指に噛みつきながら、執拗に猫パンチと猫キックを浴びせてくる。トイレや風呂にもついてきて、ドアの前でずっとないている。手の届かないとんでもない場所に入りこんでしまうし、猛烈な勢いで走り回る。そしてくるくると転がりながら、あちこちに頭をぶつけて、ますます馬鹿になっていくようなのだ。

騒いで、食べて、寝るの繰り返しなのだが、こちらの時間と噛み合わないと大変な事になる。なにしろ、少し寝るとすぐに体力が回復してしまうのだ。何度も丸めた紙を放り投げたり、手などをうろうろと動かしている内に、観ていた映画はとっくに別のシーンに変わっている。もう寝ようと布団に入っても、容赦なく足を噛んだりしてくるのである。
しかし仕事にでかける前の布団でゴロゴロしている時間は楽しい。猫は人の手が相手のプロレスごっこをしている内に疲れてきて、腹や足にもたれてうつらうつらしている。こっちはそれから、そのままの格好で昨夜の読みかけの新聞や漫画を開くのだ。これはもう小学生の夏休みである。こんな時の漫画は「とりぱん」がいい。「猫模様の青虫の話」や「生ゴミから生えて来た瓜を食べる話」などを読みながら、ますます夏休み気分に浸れる。そうこうしているうちに、こちらも救いようのないダメ人間から、いい感じの馬鹿になってきたような気がしてくるのだ。

ここに引越す前に住んでいたのは、今どき珍しい引き戸の安アパートだった。裏はブロック塀になっていて、その隙間に縁台を置いていた。休日のある日、飲み屋のマスターが遊びに来た事があった。昼間から飲んでいると、ブロック塀の上からこちらをじっとみている猫に気付いた。マスターが持って来た刺身を縁台に置くと、降りて来て狂ったように食べ始める。きりがないので網戸を閉ると、その一番上までよじ登り必死の目でこちらを見続けていたのだった。
それから、そのブロック塀の上が野良猫たちの通り道になった。しかたがないので、乾き物の餌を縁台においておいた。その頃は今のように物騒なこともそうなかったので、部屋は網戸のままにしてあった。部屋の畳に靴のどろ痕がついていたり、ブロック塀をよじのぼる痴漢らしきと目があったりというちょっとした事件もあったのだが、別に盗まれるような物があるわけでもない。最初に来た猫だけが、いつか勝手に網戸を開けて入ってくるようになっていた。

その頃は仕事が終わった深夜、よく飲みにいっていた。その日はたまたま部屋で飲んでいて、午前3時過ぎ頃だったかコンビニに行きたくなった。引き戸を開けるとアパートの前の車が2~3台位置けるスペースとその回りに、数えきれないほどの猫がいた。この町のどこにあんなにたくさんの猫がいたのだろう。その猫たちが一斉に、こちらをみた。あの日あの時、確かに猫町にいたのだ。飼い猫が幸福で、野良猫が不幸という事はない。すべてが管理された社会に救いがあるわけもない。そこにも差別や暴力や飢えや病いはあるのだ。人の住む町と重なりあってある猫町と共存できない人間が悲しい存在というだけである。
そんなある日、帰宅をするとベッドの掛布団の下で何かが動いていた。気味が悪かったがあけてみると、そこにはいつもの猫と今産まれたばかりらしい4匹の子猫がいた。そのまま掛布団をかけると、それからしばらくは炬燵で寝ることにしたのだった。

それからは猫町に迷いこんだ事はない。時々、近所の城山の太った猫たちや競馬場の近くの分倍河原の痩せた猫たちに会いに行く。
前の安アパートの近くには一ツ橋大学があり、そこに住んでいるらしい狸が深夜、住宅街を散歩しているのを何度か見かけた事がある。今住んでいる多摩川の近くでは、尻尾の大きいイタチらしい親子が、のんびりと道路を横切っていた。岐阜や京都の役所の事件が新聞を賑わしている。テロの脅威が米英の、靖国参拝が中韓の政権を強固にするのだから皮肉だ。長野の選挙もボクシングの試合を観ても金と利権しか感じられない。失うものが大きいほど、人は逆上する。この国自体が「銭形金太郎」になっても、そこに歌と踊りと笑いがあれば、それでいいんじゃないか。
猫と遊びながら最近観た映画、「レボリューション6」「ボブ・ディランの頭の中」「さよならCOLOR」「リンダ リンダ リンダ」…終わらない歌をうたおう、くそったれの世界のため…  

      '06.8.12
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by nakagami2007 | 2006-08-12 14:20