<   2007年 03月 ( 1 )   > この月の画像一覧

空色の軽自動車

久しぶりの休みに府中の駅前日帰り温泉に行った。鏡を見るとあばらがういて、何とも貧相である。移転作業の日々で体重は5~6キロは落ちていた。髪もめっきり薄くなり、そのうちマイク真木かミッキー・カーチスのようになる事だろう。去年の秋まではよく、早朝4時の「めざにゅ~」を見て眠り、昼前に起きていた。移転作業中は朝一番の用事もあったりで、いつのまにか午前8時過ぎ頃には目覚めるようになってしまった。テレビ朝日で昨年始まった、9時55分からの「ちい散歩」をよく見ている。

10代の頃は誰でもかかる麻疹のように、放浪や冒険という言葉が頭にあった。今はまったくない。ただ億劫な事だと思うだけである。「ちい散歩」は楽しいが、NHK特集のような大袈裟な紀行にはまるで興味がわかなくなってしまった。正直いえば、政治や経済、国際情勢や社会面なども興味があるわけもない。ただ人間とは面白いものだと思うだけである。東京新聞を開くと花便りや伝統芸能欄をみる。

新店舗の駐車場には小さい車しか置けないという。14、5年も乗っていた大型の4駆は移転作業では活躍してくれたが、経費ばかりがかかっていた。満載するような買い入れは年に1、2度しかない。中古の軽を探しに行くと、月々のガソリン代の差額分だけでも充分に買える事がわかった。まだ新しい空色の中古の軽を買う事にした。段ボール箱5、6箱は積めそうだし、小回りがきくので運転は本当に楽になった。後ろの車に煽られながら、のんびりと景色を楽しんでいる。

当たり前だろうが、古本屋には本を探しにくる人が多い。通勤の暇つぶしには当たり外れのない、いつも読んでいる作家の推理小説や時代小説がほしい。生活や仕事に必要な実用書がいる。コレクターは自分の蒐集している分野以外は興味を示さない。ここは探すのではなく、出会うための場所だ。異界との通底装置としての古本屋は必要とされなくなっている。書物とは異質のものが出会った発見と喜びである。そこには高尚も低俗もない。さまざまな分野の思いがけない接点のあるゴッタ煮のような本棚が面白いと思うのだが、ひとりよがりでは仕方ない。

20年前、古本屋を始める時の案内にソローの「森の生活」からの言葉を書いた。
「君の眼を内に向けよ、しからば君の心のなかにまだ発見されなかった一千の地域を見出すであろう。そこを旅したまえ、そして自家の宇宙誌の大家となれ。」
必要な物は巨大なジェット機でも、大艦隊でもない。行き止まりの場所に辿り着き戻る事もできなくなってしまった時、ひとりで丸太をくり抜き、海へと漕ぎ出すためのナイフと勇気である。

空色の軽自動車での帰り道、遠回りをしたくなった。旧奥多摩街道を青梅方面に向かって走った。曲がりくねった道をいくうちに、段々と夜空が澄んでくる。眼下の多摩川の向こうに民家の灯りが点々と広がっていて、満開の梅が街灯に照らされている。闇に向かって走っていると、少なくとも今はまだ、異界からの者たちの出入り口は失われてはいないと思えた。

暖かい日が続いている。早く来た昼、近所の肥田ベーカリーでコロッケパンと桜あんぱんを買って、昭和公園に往った。真紅のヒカンザクラが満開だった。人の頭の中にはバカげた妄想やくだらない思念が渦巻いている。繊細さとは人を疲れさすためだけにある。しかし「美しい国」という人は醜く、「鈍感力」という人は下品だ。昭和公園の老猿は淡々と毛づくろいをしていた。秋に会った時よりも、春はごきげんそうに見える。ここにくると、大切な事は無心であることと、君はいつも教えてくれるのだった。   

      '07.3.6
[PR]
by nakagami2007 | 2007-03-06 14:24