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ターナー

目的のない散歩をするようになって、下町から郊外の開発がせまっている山まで、いろいろな町にでかけた。何度も行く場所もあれば、二度と行かないだろう場所もある。その中でも昔から何度行っても変わらずに好きな場所がある。神田明神から湯島、不忍池から上野公園を抜けて谷中へと歩く道。もうひとつは早稲田付近の江戸川から目白、鬼子母神から雑司ヶ谷へと歩く道だ。共通しているのは、どちらも墓場にたどりつく事。静かで落ち着く場所だ。日暮れて闇が訪れると日常の雑事も消えていく。10代の頃は美術研究所のあった自由が丘からの帰り、夜更けの九品仏の墓場に寄るためによく歩いたものだ。そこは私の内にある浄土への入口だったのかもしれない。

10代の頃は上野公園が好きだった。授業をさぼってよくでかけた。上野動物園のゴリラの檻やペンギンの柵の前で、あるいは西洋美術館の常設展のフロアにある長椅子に座って、日がな一日ぼんやりしているのが好きだった。常設展の長椅子に座っていると、目に入っていたのはいつもターナーの風景画だった。と、ずっと思い込んでいた。そんな事を思い出したのは早めに店を閉めて帰った夜、テレビをつけるとターナーの絵「雨、蒸気、速力」を紹介する番組をやっていたからだ。しかし人の記憶は曖昧なもので、時に別の過去をつくり出してしまう。あの記憶にあるターナーのゴシック風の風景画は何だったのだろうと、西洋美術館のホームページをみた。だが西洋美術館のターナーの所蔵作品をみると、ラフな鉛筆の素描画が2点あるだけだった。

西洋美術館がターナーの展覧会を催したのはもう20年以上前になる。この展覧会は大変な動員力があったようで、その時の図録は、その後あちこちの古本屋いたるところで目にしたものだ。その時に観た絵が別の記憶を生み出してしまったのだろうか。ターナーは印象派やその後の抽象絵画が生まれる何十年も前に、ロマン主義の重厚で射し込む光が美しい写実的な風景画から印象派のように、そして晩年は抽象絵画のようにと変貌をしていった画家だ。「雨、蒸気、速力」は晩年の代表作だ。そこでは物質の輪郭は消えていき、光溢れる大気が揺らいでいる。絵画に特に興味がないという人でも、山下達郎の「ターナーの汽罐車」という曲で知っているという方も多いのではないかと思う。最年少の美術アカデミーの会員になったターナーだったが、年を重ねるごとにその居場所から遠く離れて、別の表現を生きた。

ターナーの番組が終わり、テレビではニュースが始まっていた。製造業派遣の派遣切りにあった人たちの、不安を訴えるインタビューが流れていた。そこで印象に残ったのは「製造業に戻りたい」という言葉だった。そこにあるのは他者との表面的なコミュニケーションに気ばかりを使うサービス業や、口八丁手八丁で人よりも多く売り続けるしかない営業への恐怖感だった。それは産業革命がつくり出した矛盾だ。製造業は低賃金で同品質の製品を造る機械を求めている。そこには徒弟制度のような人間関係の煩わしさはないし、一旦効率の良い作業手順を覚えてしまえば変化におびえる事もない。しかしそこにも労働の喜びはなく、その空虚を埋めるためには消費しかないという資本主義の陥穽を永遠にくり返すだけになってしまった。

崩壊は再生のチャンスでもある。経済戦争の戦後処理は、経済成長へと走り続けたかっての戦後のようであっても意味はない。今度は便利から不便、効率から非効率、破壊から再生へと帰る道だ。人は少しでも安いものへと向かうが、その裏で日本では毎日3000万人が生きられる食料が捨てられていて、その多くが個人消費の食べ残しや賞味期限切れの品という。大量生産と大量消費の幻想に皆が踊らされてきた。人口の増加は単に大量の消費者を生み出すためだけの作業だった。大量消費ではなく、例えば個人が丹誠を込めて育てた割高の大根を買い、その皮も葉も大切に食べ尽くせばいいのだ。労働の喜びは個人が良いものを造り出そうとする事、それ以外のどこにあるのだろう。居心地のいい場所は、単にくり返すだけの場所。そこには人はいない。ターナーに見えていた風景はいつも刺激的だが、それはたぶん自己の内にある浄土へと向かう散歩道だった。
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by nakagami2007 | 2009-01-19 14:20