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ROCK

近所の多摩蘭坂を車で通ると、献花があった。忌野清志郎が死んだ。

RCサクセションを初めて聴いたのは、トランジスタラジオから流れてきた「ぼくの好きな先生」というフォークだった。それから数年後、テレビで「上を向いて歩こう」を歌う彼らを観ると、ロックバンドに変っていた。そのカッコ良さにまいった。

この頃は日本でも、アメリカンロックやブリティッシュ、プログレッシブ、ノイズミュージック、即興現代音楽からその後のパンクまで、さまざまな個性的なバンドが生まれた。今もミュージックシーンばかりでなく、アートシーンなどで独自の活躍をしている人も多い。
(はっぴいえんど、村八分、ファーイーストファミリーバンド喜多郎、ロストアラーフ灰野敬二、タージマハル旅行団小杉武久、スターリン遠藤ミチロウ……)

ロックのライブ・シーンではいいたい事をいい、やりたい事をやる奴らがたくさんいた。権力に媚びず、権威や傲慢に堕ちる奴らを笑い、弱者や虐げられた人々の視点を持つ。酒を飲みハメをはずした位で捕まるのなら、皆刑務所行きだ。

しかしいつのまにか人の失敗や弱点ばかりを探し、弱者が弱者を糾弾し、その事によってしか自己の社会性を保てないというような情けない社会になった。ミュージシャンも当り障りのない発言しかせず、金儲けと自己保身が透けてみえるようになった。

他の国でも、それは同じ事だ。数年前のFUJI ROCKでも観たニール・ヤングは年ごとに過激になり、言いたい事を言い続ける数少ない一人だ。パールジャムとのライブの[ROCKIN' IN THE FREE WORLD]を観ても、年寄りが一番元気だ。

ミュージシャンではないが、ルポライターの竹中労も同じだった。その矛先は常に権力や権威に向けられていた。余命僅かと宣告され、死の直前まで出演していたテレビ朝日の深夜番組、「ニュース・バトル」は毎週見ていた。

囲碁の藤沢名誉棋聖も逝った。競輪に有り金すべてを賭け、事業に手を出しては失敗し、借金まみれの人生だった。将棋の米長永世棋聖の夫人が藤沢夫人に「うちの主人は週5日帰ってこない」と相談すると、「うちは3年、帰りませんでした」と答えたという。

愛すべき、めちゃめちゃな奴らがいた。

忌野清志郎、もっと生き、年老いても永遠のロックバカでいてほしかった。
酒を飲みながら、「タイマーズ」を聴いていたら、泣けてきた。
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by nakagami2007 | 2009-05-19 20:50