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冬の古本屋

去年の暮れの事だ。青梅の古書店のNさんが久しぶりに顔をだして、「倉庫を引き払うんで、古い雑誌なんかいらないかね」と声をかけてきた。そろそろ催事などでの販売をやめて、目録一本にしたいという事だった。使えるものがいくらかでもあれば有り難い。「少し早起きをして、開店前にドライブがてら寄りますよ」と答えた。近頃は遠出の買入もないので、たまにはのんびりと青梅まで車を走らせるのも悪くない。

段ボールをいくつか車に積み込んだ後、Nさんの店で一服した。店といっても、自宅の一角を使って、今では店売りもしていないので事務所兼書斎のようなものだ。その何本もの棚のすべてに、古い児童向けの読み物や探偵小説がぎっしりと並んでいた。珍しいものばかりで、中には数万、数十万するような品もかなりあった。古本屋を始めた頃に寄った時には、そこには近代文学の初版本などがあった。「あれらはどうしたの」と聞くと、「売れないものを持っていたって仕方ない。いくらかになればいいんで、すべて処分したよ。初めっから今のようなジャンルにしとけばよかったなあ」と笑っていた。

Nさんは以前は勤めながら古本屋をやっていて、今では年金をもらっている兼業古本屋だ。店をかまえていては、そうはできない。近代文学書のように、持ち込まれる品はお客が大切にしていた、今ではどうにもならないものが多い。仕方がないので利益はでないけれど、何とか赤字にはならない金額を提示しても憤慨されるような事になる。商売にならない上に、そういった品が残っていけば「応接間にある教養」のような、魅力のない退屈な棚になっていってしまう。「ゴミの処分を頼んで、お金まで貰っちゃあ悪いわねえ」などといわれる品の中に、面白いものがある。そういった中にこそ、「自由な遊戯」はあるのだ。

年明けに見知らぬ女性が訪ねて来た。店によく来ていたS君と一緒に暮らしているものだという。S君の顔はもうずいぶんと長く見ていなかったが、病気の親の面倒をみるために東京と九州を行ったり来たりしていたので、田舎にいるのだと思っていた。「Sさん、二か月前に死んだんですよ」と彼女が言った。驚いた。エネルギーの塊のようだったS君が、50そこそこであっけなく死んでしまうなんて信じられなかった。「夜勤で倒れてそれっきり」、ようやく外にでられるようになったという彼女が、寂しそうに笑った。

S君が初めて店に来たのは、もうずいぶんと昔の話だ。それ以前には中古レコード店や音響の仕事もやっていて、特に音楽に関する知識はとんでもなく深かった。何しろクラシック、ジャズ、ロック、ワールドミュージック(からアニメソングまで)などジャンルを問わず、聴き始めるとコンプリートせずにはいられない性格なのだ。そしてその周辺の遥かに広い分野まで大量の書籍(原書まで)を読み漁る。器材を買い込んで、同じ音を再現したくなるというのだ。好きなものの周辺をただ漂流しているだけで、隙間だらけの私などとはまったく違っていた。筋金入りの元祖オタクだ。金が入ると、そういった品を買い込んで、山のような紙袋を持って店に現れた。

古本屋には、そういうお客は多い。彼らが話し始めると、まったくついていけずに閉口する。しかし店ではレコードも扱っているので、S君の知識にはずいぶんと世話になった。しかも、そういった人たちが持っている品はどんなジャンルにしろ筋が通っているので、間違いがない。ある日、S君が昔コレクションをしていた輸入物のボードゲームを処分したいと言って来た事があった。こっちにはまったくわからないジャンルだ。「売れたら五分五分という事でかまわないよ」というので引き受ける事にした。それらが思いがけない高値で完売したので、数ヶ月も楽をさせてもらったこともあった。店をやっていれば、非常識で理不尽な事も多くある。それでも面白い連中がいるから、なかなか店はやめられない。今は、S君の冥福を祈るばかりだ。

入院中のKの暇つぶしのためにHが始めたおすすめ動画だが、そんな和むような面白い画像を知っているわけもなく、あてもなく探す事もできるわけがない。結局、早めにあけた開店時間のコーヒータイムで簡単にできるので、自分の好きなものだけを並べる事になってしまった。それはS君のような人たちの興味の膨大な蓄積とは違って、長く生きてきた私の気侭な散歩の痕跡だ。多少の職業意識も働いて、自分が面白いと思った本の案内や書評へもリンクさせるようになった。それらはかって、古本屋でそれなりに売れていたのだが、今では読む人も減ったと思われる品だ。そこからひとりでも、好奇心の範囲が広がったという方がいればうれしい。

そのKだが、結局治療を中止して退院をした。今は井の頭付近にある知人のアパートの一室を借りて、おにぎりや古本などを売ったり、手作りの小物をデパートの催事で販売したりして暮らしている。吉祥寺周辺の新進の個性的な古本屋や映画館をやっている連中、催事で出会ったものづくりの人たちとの面白い輪も広がっていって楽しそうだ。たまに、一杯やりながら本や映画の話をする古本酒場もやるという。この町ではうまくいかなかったが、あのあたりなら楽しくやれるだろう。一時はどうなってしまうのだろうと心配したが、そんな時間がゆっくりと長く続いていってほしいと願っている。
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by nakagami2007 | 2011-02-23 17:51