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残されたノート

店をやめてもう一年になる。去年の今頃は、閉店の準備で整理に追われていた。その都度取捨選択をしていないと、どのくらい経ったのかもわからないような物がいつまでもずっと残っている。もう何もいらないのじゃないかと思いながらいろいろな物を捨てたが、それでもまだ処分保留にしてしまったものがいくつかある。机の引き出しの中にある、血のついた一冊のノートもそうだ。

数年前の事だ。体調を崩して何度か入院をしていたKが顔を出し、突然余命宣告をされたと話しだした。まだ二十代の後半なのだ。その話を聞いてもとても信じられず、どう答えて良いのかもわからなかった。そして、この事はこの町の皆には「黙っていてほしい」と言う。Kは本屋で働いていたので、親しい知人も多かった。店に来たお客に「Kはどうしてる」と問われれても、どう答えていいのかわからない。結局、Kと同年代の仲間たちの中でBarをやっていて人望もあるSoだけには伝えて、後の事は決めてくれないかと丸投げにしてしまった。

入院生活でのカメラマンのTさんや新しい仲間たちとの出会いの事は以前に書いた。新しい治療をうけるたびにKは集中治療室に運び込まれて生死をさまよった。それでも、専門の病院を紹介された時にも「やれることはやるしかないんじゃないか」と言う事しかできなかった。そしてまた同じ悪夢を繰り返していたのだ。治療の金がかかるので、動ける期間があれば立川のパン屋でアルバイトをしていた。駅から僕の店までたった100メートルほどの距離なのに、何度も休み休み歩きながら、たくさんのパンを手土産に顔を出してくれるのだった。

そんな何でもない日常がある事が嬉しかったのだろう。飲めば後で苦しくなるのはわかっているのに、ワンカップを飲もうと言う。何もかも、忘れたい事ばかりなのに、何一つ忘れる事ができなかったのだろうと思う。Kがノートを置いていったのはその頃だ。バイトの休み時間には痛み止めの注射をする。その時の血がついたノートだ。「誰かに見られたらギョッとされるね」と笑った。そしてポツリと、「眠ってしまえば、もう朝はこないと毎晩思う」と言った。

結局、Kは苦しいばかりの治療をやめ退院をすることにした。その後、Soが調べた民間療法に何度か行ったりした。「今日は体調がいい」と笑いながら一杯飲んだりしているうちに、奇跡は起きた。会うたびに、体調が戻っているようだった。そして以前に暮らしていたという三鷹の斜めになったオンボロアパートの大家の好意で、その一室でおにぎりや本を売ったりして暮らし始めたのだ。

そこでも新しい出会いがあり、彼らの話を聞くたびに僕は嬉しかった。Kがこの町に来ることは段々となくなり、僕は僕で日ごとに苦しくなる店の支払いで、ただ作業に追われるばかりになって行った。それでもKの気晴らしのためにつくった「おすすめ動画」をみて、彼女たちも「おすすめがある」とつくったサイトに行けば、楽しそうにやっている様子を知る事ができた。しかしそのサイトが使えなくなり、その後は更新されることもなくなっていった。

去年の夏のことだ。Kは元気でいるだろうかと、散歩の途中で七夕祭りの日の阿佐ヶ谷の駅を降りた。歩いていれば、話に聞いていた仲間のBarの前でおにぎりを売っているKに会えるんじゃないかと思ったのだ。その頃にはもう三鷹のアパートも取り壊されていた。しかしどこを歩いてもわからない。そこでKの話にでてきた店で聞いてみることにした。ところがどこでも、「そんな人は知らない」と言われるばかりだった。翌日、Kにメールをだした。

その春に結婚してメキシコで暮らし始めたRの事やこの町の皆の近況と共に、「昨日は狐につままれたようだった」と書いた。「話は聞きました」と返事がきた。集中治療室にいた時の治療の後遺症で記憶が薄れていて、近況を送った皆の事もほとんど思い出せないというのだ。その事で「私にもよくわからない、のっぴきならない事態」があったらしく、「皆で、私の話は他言しないようにと話し合って決めたらしい」と書いてあった。

そして今はもう阿佐ヶ谷にもいず、「わけのわからない説明でごめんなさい」と結んであった。これ以上聞いても、Kや仲間からは同じような答えしか返ってこないのだろう。その年に、この町で一人暮らしをしていた母も死に、ようやくこの場所から解放されたのかもしれない。今はただどこかで元気でいてくれればいいと思うしかない。Kの忘れたい記憶は今も僕の机の引き出しの中に、あの時のまま残っている。

昨年の暮れにメキシコにいるRから「ネットに妙な噂があったけど、店をやめるって嘘ですよね」とメールがあった。本当だよ。店をやめたある日、シャッターの降りた店の前に置いてあるベンチに座って缶ビールを飲んだ。毎日無駄話をしていたお隣の美容室もこの春にやめてもうない。花屋のTuちゃんも昨日、店を閉めた。先が見えないのは皆同じだ。いつかRが帰国した時には、この町は見知らぬ町に変わっているのだろう。芝居をやっていたYからは店をやめたあと、「どうしてる」と電話があつた。何も変わらないな。バイト代が入ったからとYが買った缶ビール、うまかった。そうだね、生きている間に一度飲もう。

と書いていて、気がついた。片付けに追われていた頃、不調のパソコンを変え、その中にあった情報はすべて消してしまった。携帯を持たないので、机のあちこちにペタペタと貼ってあったいろいろな連絡先も捨ててしまった。まあ、ここにくればこちらの連絡先も、まだ生きているのかもわかる。気が向いたらメールでも下さい。軽トラにテントを積んで旅をしていた従兄弟からは、子供の頃にいた場所の画像が届いた。僕は忘れられない記憶や忘れてしまった風景を肴に、今日もパソコンの前でワンカップを飲んでいます。
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by nakagami2007 | 2015-12-04 22:42