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実店舗閉店のお知らせ

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中神書林実店舗は2014年12月27日で閉店しました。27年間のご愛顧、ありがとうございました。

ネット販売、出張買取は継続しております。本などのご処分にお困りの方は、お気軽にお電話ください。今後ともよろしくお願いします。

電話番号は下記のように変更になりました。

042-505-4425

ホームページサイトなどのサービスが終了しています。
近況はコチラになります(←クリックしてください)。
http://osusumedoga.hatenablog.com/
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# by nakagami2007 | 2016-12-31 14:07

残されたノート

店をやめてもう一年になる。去年の今頃は、閉店の準備で整理に追われていた。その都度取捨選択をしていないと、どのくらい経ったのかもわからないような物がいつまでもずっと残っている。もう何もいらないのじゃないかと思いながらいろいろな物を捨てたが、それでもまだ処分保留にしてしまったものがいくつかある。机の引き出しの中にある、血のついた一冊のノートもそうだ。

数年前の事だ。体調を崩して何度か入院をしていたKが顔を出し、突然余命宣告をされたと話しだした。まだ二十代の後半なのだ。その話を聞いてもとても信じられず、どう答えて良いのかもわからなかった。そして、この事はこの町の皆には「黙っていてほしい」と言う。Kは本屋で働いていたので、親しい知人も多かった。店に来たお客に「Kはどうしてる」と問われれても、どう答えていいのかわからない。結局、Kと同年代の仲間たちの中でBarをやっていて人望もあるSoだけには伝えて、後の事は決めてくれないかと丸投げにしてしまった。

入院生活でのカメラマンのTさんや新しい仲間たちとの出会いの事は以前に書いた。新しい治療をうけるたびにKは集中治療室に運び込まれて生死をさまよった。それでも、専門の病院を紹介された時にも「やれることはやるしかないんじゃないか」と言う事しかできなかった。そしてまた同じ悪夢を繰り返していたのだ。治療の金がかかるので、動ける期間があれば立川のパン屋でアルバイトをしていた。駅から僕の店までたった100メートルほどの距離なのに、何度も休み休み歩きながら、たくさんのパンを手土産に顔を出してくれるのだった。

そんな何でもない日常がある事が嬉しかったのだろう。飲めば後で苦しくなるのはわかっているのに、ワンカップを飲もうと言う。何もかも、忘れたい事ばかりなのに、何一つ忘れる事ができなかったのだろうと思う。Kがノートを置いていったのはその頃だ。バイトの休み時間には痛み止めの注射をする。その時の血がついたノートだ。「誰かに見られたらギョッとされるね」と笑った。そしてポツリと、「眠ってしまえば、もう朝はこないと毎晩思う」と言った。

結局、Kは苦しいばかりの治療をやめ退院をすることにした。その後、Soが調べた民間療法に何度か行ったりした。「今日は体調がいい」と笑いながら一杯飲んだりしているうちに、奇跡は起きた。会うたびに、体調が戻っているようだった。そして以前に暮らしていたという三鷹の斜めになったオンボロアパートの大家の好意で、その一室でおにぎりや本を売ったりして暮らし始めたのだ。

そこでも新しい出会いがあり、彼らの話を聞くたびに僕は嬉しかった。Kがこの町に来ることは段々となくなり、僕は僕で日ごとに苦しくなる店の支払いで、ただ作業に追われるばかりになって行った。それでもKの気晴らしのためにつくった「おすすめ動画」をみて、彼女たちも「おすすめがある」とつくったサイトに行けば、楽しそうにやっている様子を知る事ができた。しかしそのサイトが使えなくなり、その後は更新されることもなくなっていった。

去年の夏のことだ。Kは元気でいるだろうかと、散歩の途中で七夕祭りの日の阿佐ヶ谷の駅を降りた。歩いていれば、話に聞いていた仲間のBarの前でおにぎりを売っているKに会えるんじゃないかと思ったのだ。その頃にはもう三鷹のアパートも取り壊されていた。しかしどこを歩いてもわからない。そこでKの話にでてきた店で聞いてみることにした。ところがどこでも、「そんな人は知らない」と言われるばかりだった。翌日、Kにメールをだした。

その春に結婚してメキシコで暮らし始めたRの事やこの町の皆の近況と共に、「昨日は狐につままれたようだった」と書いた。「話は聞きました」と返事がきた。集中治療室にいた時の治療の後遺症で記憶が薄れていて、近況を送った皆の事もほとんど思い出せないというのだ。その事で「私にもよくわからない、のっぴきならない事態」があったらしく、「皆で、私の話は他言しないようにと話し合って決めたらしい」と書いてあった。

そして今はもう阿佐ヶ谷にもいず、「わけのわからない説明でごめんなさい」と結んであった。これ以上聞いても、Kや仲間からは同じような答えしか返ってこないのだろう。その年に、この町で一人暮らしをしていた母も死に、ようやくこの場所から解放されたのかもしれない。今はただどこかで元気でいてくれればいいと思うしかない。Kの忘れたい記憶は今も僕の机の引き出しの中に、あの時のまま残っている。

昨年の暮れにメキシコにいるRから「ネットに妙な噂があったけど、店をやめるって嘘ですよね」とメールがあった。本当だよ。店をやめたある日、シャッターの降りた店の前に置いてあるベンチに座って缶ビールを飲んだ。毎日無駄話をしていたお隣の美容室もこの春にやめてもうない。花屋のTuちゃんも昨日、店を閉めた。先が見えないのは皆同じだ。いつかRが帰国した時には、この町は見知らぬ町に変わっているのだろう。芝居をやっていたYからは店をやめたあと、「どうしてる」と電話があつた。何も変わらないな。バイト代が入ったからとYが買った缶ビール、うまかった。そうだね、生きている間に一度飲もう。

と書いていて、気がついた。片付けに追われていた頃、不調のパソコンを変え、その中にあった情報はすべて消してしまった。携帯を持たないので、机のあちこちにペタペタと貼ってあったいろいろな連絡先も捨ててしまった。まあ、ここにくればこちらの連絡先も、まだ生きているのかもわかる。気が向いたらメールでも下さい。軽トラにテントを積んで旅をしていた従兄弟からは、子供の頃にいた場所の画像が届いた。僕は忘れられない記憶や忘れてしまった風景を肴に、今日もパソコンの前でワンカップを飲んでいます。
# by nakagami2007 | 2015-12-04 22:42

実店舗閉店への道3

もう少しで、閉店の後始末とネット販売再開の準備も終わります。12月は店舗とネットの仕事を続けながら、残す品、他店に売る品、他で再利用してもらう品、完全に処分する品の種分けにひたすら追われていました。たてばに処分するにもビニールを剥がすなど細かい作業も数多くあります。何とかすべて自力でと思うのですが、前回の移転の時などもそうですが、何かある時にはいつも助けてくれる誰かがいてくれて本当に感謝しています。

閉店すると知って他の町からも何度も来てくれる方や初めて話をする方も多くいて、店売りの愉しみを再び味わう事もできました。猫たち(置物ですが)もほとんどが旅立って行きました。店売りとネット販売を両立させるのは難しい事です。仕入れた中に面白い品が10点あれば他を探す手間もなく、追われる支払いのためにもその日のうちにネットに出品し、何日かすればすべて通り過ぎて行ってしまいます。どうしても店のことよりもネットが優先になってしまいます。

閉店の日が近づくと「飲んでください」とお酒を置いて行ってくれる方も何人もいたのですが、酒持込みOKの金曜日は静かな夜になりました。酒はたくさんあるのに人の姿はなく、片付けのピッチをあげていた遅い時間に日本酒を持った若い女性が現れました。時々見かける方で、しみじみと話しながら本当に良い酒になりました。閉店時間もとっくに過ぎた頃に花屋のTuちゃんが現れ、更にフラッと入ってきた「私はエグい男なんです」と言う面白い方もいて、結局何年ぶりかにSoのBarに流れました。終電はとうに過ぎ「今日くらいは送れよ」と言っているうちにお客はどんどんと増え、帰ろうとすると「今日くらいはカッコつけさせろよ」とポケットにタクシー代を。So、それはカッコつけすぎだよ。

最終日の27日は片付けも急ピッチで、店の撤去工事の事でもお世話になった商店会のTeさんが処分する品の多くを引き受けてくれました。慌ただしい日でしたが、夕方に去年再会した高校の同級生でD通のS君がきてくれました。いまだにM美大学院にいるTa君はG大から漫画家になった友人、版画家の彼女、私と同年齢の写植職人の仲間を連れて現れました。この店で一番多く話をしただろう自由人のC、アニメーターのKoさん、商店会の中華屋さん、近所のクレープ屋さんの娘がツマミなどを持ってきてくれ、母は生ビールをを差し入れてくれました。気がつくとよく見かけていたお客の方の笑顔もみえて、楽しい最後の営業日になりました。

29日は最後に処分する品をたてばに持って行ったり軽自動車に何本かの本棚を積んで、その後の準備も順調。年明けの2日から日曜以外は本格的な片付けに入り、一日3往復の本と本棚の運搬も9日には終了、木の棚などは細かくしてゴミに出したりしている10日に廃品回収の軽トラックが通りかかったので、残っていた本棚や小型の冷蔵庫など積めるものはすべて持って行ってもらいました。軽トラの威力は凄いです。

12日の月曜日にスチールの机と家具型のステレオを粗大ゴミに出して終了。自宅のネット開通の工事日が20日のため残しておいたパソコンと捨てることができないブロックだけが残った店で、年明けに一度この場所で飲もうと言っていたSoに電話をいれるとあちこちに声をかけてくれたようでした。ガランとした店の床のブロックに腰かけてCとHとビールを飲んでいるとSoの親父のデザイナーのKuちゃん(親父だが私よりも若い!)、花屋のTuちゃん、美容師のNちゃん、反骨公務員のKasさん、中華屋のKarさんが顔を出し、その後SoのBarへ。酔いました。商売としてはうまくいかなかったけれど、面白い連中がいてここで店をやってよかったと思えるきっかけをつくってくれたSoとCの幼なじみで画家のSiからはBarに電話があったようです。ごめん、酔ってまったく覚えてないけど感謝してる、ありがとう。

その後もやっておかなくてはいけない雑事をひとつひとつ片付けて、19日は商店会で最後の新年会兼送別会。会場の店に行くと、いつも酔っ払っていてあちこちの店で出禁になっている女性からの置き手紙を渡されました。引っ越してきたこの町で「不思議(変)と思われてるけどあなたも? いてくれてありがとうございました」というようなことが書いてありました。閉鎖的で変化のない町です。そしてどの店もいずれは退去する日がくるだろうから、言いたいことは言っておきました。コンクリートの床を壊し、壁の色まで元どおりの完全なスケルトンを求める公団のマニュアルは今の時代にはまったく合わないと誰もが思います。簡単には変えることはできないだろうけど、粘り強く交渉するしかありません。個人商店はこれからますます縮小していくだろう時代に、やめるにも膨大な費用がかかってはその後の未来も闇です。今週中には撤去工事も終了するので、今は来週の立ち会いで問題がない事を願うしかありませんが。

この27年間ずっと一緒にいたロッキンチェアーは、日本中を旅して一番お気に入りの場所だった穂高で家具職人をしている従兄弟に作ってもらった最高の品です。しかし本だらけの部屋にはもう物を置く場所もなく、置けたとしてもただそこにあるだけでは意味もありません。結局、Soの店に旅立たせる事にしました。これからもずっと面白い連中を見続けていってくれる事でしょう。ふと思いおこすと、よく見ていたあの人はどうしているのだろうと閉店までに会えなかった方たちの顔が浮かびます。またどこかでお会いしましょう。それまで元気でいてください。
# by nakagami2007 | 2015-01-23 17:46

実店舗閉店への道2

あっという間に12月になってしまいました。物置になっていた部屋の片付けもようやくなんとかなりそうなところまできました。店の片付けも少しづつですが進んでいます。しかし古い手紙など、どうでもいいようなものほど捨てずにあるのは何故なのでしょう。身辺整理の良い機会にもなっています。

長年の確定申告書もでてきて、つい見入ってしまいました。昭和63年1月2日に開店して以前の店で丸20年、現在の店舗に移転して年末でちょうど7年になります。開店から5年間の売り上げはうなぎのぼりの上昇で、その後はネット販売や移転などいろいろとありましたが、下降は毎年変わらず見事にきれいな放物線になっています。

数年前に店を閉めた隣町のD書房がもう使わない梱包材などを持ってきてくれ、その時に置いていった名刺もでてきました。裏を見ると「アマゾンだ、ヤフーだと追い回され、我々は自由業だと言えるのでしょうか」と書いてありました。店で売れている頃は毎日通路を塞いでしまう大量の商品の整理に追われ、ネットに移行すればひたすら出品と梱包に追われてきましたが、それが仕事というものなのでしょう。今は少しだけ、夢だった店売りの「猫屋」を楽しんでいます。

今回、本やCDを勢いのあるといわれる店、専門店、老舗、大型チェーン店などに持ち込んで売る側に立ってみると、この業界の内情がよくわかったような気がします。巷間言われているのとまた違った景色がみえました。どの店にも一長一短あります。今ならご処分される方に、的確なアドバイスができると思います(苦笑)。

ネット販売や出張買取は継続しますが(一月は片付けのため休みます)、実店舗の営業は12月27日で終了します。19日の金曜日と最終日の27日土曜日は酒持込みOKにしたいと思います。ほろ酔いでゆっくり、やがて絶滅するかもしれない紙の書物や猫たち(置物ですが)と遊んでいってください。

駅の売店で手の届かないくらいの高さに積まれた新聞や山積みの雑誌が飛ぶように売れていたのも遠い昔になりました。駅の売店にまだ歩合制の委託の店舗があった頃、手伝っていたことがあります。次々と同時に何人ものお客が来るので、画像の早送りのように一瞬で釣り銭が渡せるようにしてあったものです。今では電車の中で活字を読む人の姿を見る事の方が珍しくなりました。

テレビをつければヒステリックな声が聞こえてきます。この国や世界のかたちは歪んでいくばかりのようにみえます。映画館のスクリーンに向かって「健さん!」「文太!」とかけ声がとんでいた日を思い出しながら昨日は少し飲みすぎて、今朝は布団の中に入ってきた猫とグダグダとする変わらない幸福を味わっていました。営業期間はあと少しになりましたが、よろしくお願いします。


時代おくれ
# by nakagami2007 | 2014-12-03 15:29

実店舗閉店への道

いつまで店舗を続けるのかなんとなく考えていましたが、漠然と思っていた年齢にこの年末でなり、体力のある内にと年内での閉店を決めました。まだかなり先になりますが、無店舗で続けるための準備はやる事が多すぎて少しずつ動いています。家に帰れば、本棚十数本はおけそうなのでもう使えない雑誌やガラクタなどの片付けを始めています。店では処分する前に一度位は使っておきたい場所をとる品をネットでは優先し、他は持ち帰ってゆっくりと売りたい品、均一本にする品など種分けしたり、山になったままの雑誌や映画パンフや美術全集など処分する品も多くあります。他の雑事も果てしなくあるような気分でどこからどう手をつけていいのかという状態ですし、その間に赤字をどんどんと膨らませるわけにもいきません。それでも最後くらいはまだインターネットがない、店を始めた頃のように店売りを楽しめたらと思っています。

できるだけ店頭の均一本を補充していくつもりですし、部屋にあった大量の猫グッズなども店に並べてみました。年末にはもう一度、楽しかった酒持ち込みOKの日でもつくれたらと思っていますので、ぜひ営業期間中にお立ち寄り下さい。

今年の始め、多摩地区の情報誌に掲載されたおかげで数十年ぶりの旧友と再会しました。数年前に亡くなられたという彼の父はその頃でも「あいつはどうしてる」とこちらの事をよく覚えていてくれたようでうれしかったのですが、その時は大量の戦前などの古い本の処分に困ったという話をききました。とりあえずは神田の古書店がきてくれたようで五千円分の品を抜いて行き、残りは「ただ持って行くだけなら」という業者がすべて引き取っていったようです。「それはひどい」とも思いますが、それでも都心の店が来てくれたり、トラックですべて引き取るというのは大変な事で、それでよかったともいえます。実際に種々雑多な品を引き取りに行き、種分けし使えるようにするのに多くの日数や経費をかけていては、とても商売にはなりません。ほとんどは頼んでも来てくれず、来てくれても一向に減らず、自力で少しずつ古本屋に持って行っても値がつかず、ゴミとして処分するにも気力も体力もわかないという方が多いと思います。

実は最近、ネットでの需要は少ないけれど場所によっては店舗販売で何とかなるかもしれない定価の高い本や古い本を、その品にあった店に持ち込んでみています。仕入れ代を回収するのも大変な時代です。これがそのためだけに交通費をかけて持って行く個人であれば、やはり意味のない事になってしまいますが、散歩のついでに発泡酒代にでもなればと思えば、いろいろと興味深い事もわかります。実店舗をやめた後は、自由になる時間は今と違って格段に増えます。本などの処分にお困りの方がいれば、実際に現物をみてどうする事がいちばんよいのか、考えるようなことができればいいと思っています。連絡方法などはそのまま残しておくつもりですので、今後ともよろしくお願いします。
# by nakagami2007 | 2014-09-08 18:11