しばらく姿をみていなかったTさんが、いつものように穏やかな笑顔で顔をだしたのは、今年の始めの頃だった。「リンパ腫で、このままだと余命半年だよ」と言う。どう答えていいのかわからなかった。春になって現れた時には、「これが最後かな。痛くはないし、死ぬ気がしないんだけどね」と何冊かの本を買ってくれた。「じゃあ、また」と言うしかなかった。それっきり、いくつかの季節が過ぎた。
Tさんは私より年下なのだが、古本屋修業時代からのお客で古書店通でもあり、私にはお客の立場からみた古本屋を知る師匠だった。古本屋巡りと散歩が好きで、気負ったところがまったくない人だった。話をすると、妙な自意識と正義感と、世俗にまみれた人ばかりの中で、Tさんは違った。「あの散歩道はいいね」といった話をしながら、何度か飲んだ。「死ぬ前に、鶴見川の源流に散歩にいってこよう」と言っていたが、どうしただろう。Tさん、私は行ったよ。 Tさんは時折、特殊な本を持ってきてくれた。他の古書店にもないような、まだ扱った事のない品は古本屋には大きな楽しみだ。そういう品は安売りをする必要はないが、簡単には売れない。「売れない物で悪いね。今度はすぐに売れる品を持ってくるよ」と、売った代金で店の本を買っていってくれた。Tさんと飲んで、ほろ酔いになるとよく、友人が一時期やっていた古本屋の話になった。スーパーの店頭にあった一坪くらいの駅の売店のような、奇跡の店だった。最近は散歩にでかけても古本屋に寄る気がおきない、と言っていたTさんだが、その店の話になると「あの頃は面白かったねえ」と笑った。 品揃えの選択肢が多くあるよりも、少ない方が売り上げがあがるという有名な実験結果がある。古本屋でも同じだ。ほしい品が数冊であれば、この店に置いておいてもと、既に持っている品まで買ってしまったりする。ほしい品が山のようにあれば結局選べず、この店の棚に並べて置いた方がいいんじゃないかと、何も買わずに帰ってしまう。どんな仕事でも方法はいくらでもあるが、継続するのは本当に難しい。 この町にもシャッターの降りている店が増えた。続けている店も、やめれば支払いだけが残るからというところも多い。借金をつくれば、利益はでずただ支払うためだけであっても、やめる事さえできなくなる。もうやめようと思った事は何度もあったが、そういう時には不思議と多くの良い品を売ってくれるお客が現れたり、必ず売れる趣味の本や新しい本の山を、「つまらないものを持ってきて悪いけど、処分しておいて」と置いていってくれる近所の人たちに助けられた。彼らやTさんのようなお客がいなければ、とっくに店をやめていただろう。 プレゼンテーションやディベートに勝ち抜くような生き方が、日本人に合うとはとても思えない。多くを語らず、淡々と良い仕事をするといった事が忘れ去られていく。政治家の言う「美しい日本」とは戦前の事だ。彼らの頭で遡る事ができるのは、そこまででしかない。他の国にはない、この国の文化の本質は、何かを得るためにするのではない、「数寄」にある。新しいスタイルを知るたびに刺激は受けるが、何者にもならないために、もっと多くを知りたい。 凍える冬、コンビニの電子レンジで紙製のカップ酒を30秒、暖めてもらう。冬枯れの林では、鳥や猫が遊んでいる。人は、そう簡単には死なない。そうだろう、Tさん。すぐに、また春がくる。暖かくなったらもう一度、愉しかった散歩の話でもしよう。
by nakagami2007
| 2012-12-28 21:07
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