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ワンカップの中の冬

幕末に来日したイタリア人撮影の写真が写真美術館に所蔵されている。それがこの冬に開催された江戸東京博物館の「大江戸八百八町展」で展示されていた。愛宕山から撮影されたパノラマ写真で江戸城の西から芝増上寺あたりまでが写されている。そこには火の見櫓以外には平たんな美しい屋根瓦の町並みがある。

江戸時代は急激な人口増加も無く、リサイクル型の社会であったから経済成長もない時代だった。飢饉や地震という天災もあり、生産性のまるでない武家社会の下級武士の閉塞感は強かっただろう。しかし江戸庶民の間にそれほど上昇志向があったようにはみえない。わずかな時間を働けば家賃と酒代を稼げる。常磐津などにさまざまな物売りを模した舞踊がある。売るものがなければ言葉や踊りさえ売っていた。

「大江戸八百八町展」でベルリンから里帰りした「熈代勝覧」をみると、文化の頃の日本橋の賑わいが生き生きと伝わってくる。鮨やの前で踊っている二人の女がいる。どの顔も皆、笑っているようだ。女性の役割は大きく、5度、6度と結婚を繰り返す事も不自然ではなかった。士農工商の区別も差別というようなものではなかった。貧困のイメージがある農村では手工業も発達し、名産品が金銭をもたらした。その頃来日した外国人によって記された記録には「ヨーロッパよりも遥かに自由を感じる」といった記述がある。

明治維新による近代化は官僚制をつくり、地方に住むものはすべて農民とされ、都市に住むものは工業従事者という単なる労働力にされていった。その体制の維持のためにさまざまなタブーと差別がつくられた。現在、常識と思われている価値観はそこからうまれたのである。そのために以前のシステムはすべて封建制という一言で否定されていった。

日本人はアルコールの分解物質を多く持たない。変わりに強力な脳内快感物質は多量に持つ。そのために宗教から今のポップのような麻薬文化は育たなかった。リグ・ヴェーダや曼陀羅などはまさしくそのままの幻影である。脳内快感物質によって、そういった精神性に頼る必要もなく、物質に拠り所を求める必要もなく、何も持たない事さえも快楽にしていく事ができた。しかしそれはどのような体制のなかでも従順に生き、労働力でしかない事もまた快感にしてしまうという事でもあった。近代がみせてくれた共通の逃げ場所が経済成長だった。

ヨーロッパで死が発見されたのは中世の頃である。それ以前の死は生とは別の存在ではなかった。死の発見により宗教は布教のために死後の世界をうみだし、表現の世界では死はすべての存在の消滅という認識がうまれた。それらは死の恐怖という強迫観念を増大させていくものだった。そこから生じる生への執着は自棄をともなうものだったのである。そしてある社会や集団の共同意識を維持するためのタブーや差別は、とんでもない衝突をうみだしていく事になる。

両国から浅草に往き、浅草寺の屋根瓦を眺めながら露店でワンカップを飲んでいた。40を過ぎたら色事、芸事、道楽を生きる風流な隠居の時間を時々持ちたいものだ。金では買えない遊びがある。しかしテレビの国会中継や国連安保理中継をみるほどに、人間とは見苦しい生き物だ。
そんな事を思いながら、露店で煮込みをたのむ。現存していれば世界遺産にも登録されただろうといわれる上野寛永寺、その大伽藍の屋根瓦を眺めながら飲む事ができていたらと、ワンカップももう一本。 

      '03.2.15
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by nakagami2007 | 2003-02-15 13:55
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