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"未来ポスト" 「死んだ男の残した本」後記 -Guest Column by 柏原晋平-


d0129450_16315134.jpgこのblogの元締め、古本屋・中神書林の主人とのなんとも奇妙な腐れ縁は、想えば僕がまだ中学生だった頃にまで遡る。前回のコラム「死んだ男の残した本」のK君が僕、"柏原晋平"という事になる。今日、金曜日も泡盛を片手にここ中神書林で飲み始めたところだ。近頃、ここの主人と僕はよく酒を飲むようになった。絵の話、音楽の話、文学、映画、死んでいった仲間の話、好きな子の話、そして殴り合いながら爆笑しあう。毎度、グデグデになりながらも本気でぶつかり合える僕の数少ない"バカ野郎"同志なのだ。

d0129450_1632545.jpgそのきっかけとなったのが、「死んだ男の残した本」の後、弔い酒を始めてからだった。

あれから―――ペンを執る間もあまり無かったのだけど、早くも霜月の半ば過ぎ、12月になろうとしている。今年も様々な巡り逢い、そして再会があったし、そして多くの別れもあった。そこには数々の悲愴と歓喜が同居していたが、そのどれもが暖かい人の呼吸によるものだった。

d0129450_16321183.jpg生きていれば、誰しもが恋人との別れや、友人や家族の死をも経験しなくてはならないだろうし、これから先、自分の死も含め、様々な経験をしていかねばならないだろう。それを理解し、受け止めるまでには相応の時間もかかる。いや、一生を経て、受け止めきれなくてもいいかもしれない。僕はこれまで経験してきたどの別れを想っても、とても淋しく、辛く、張り裂けている。しかし、それを背負う事ではなく、正面から抱きしめる事で、想いを内包し、生きていけたなら、人と人とが向かい合い、伝え合ってきた事の"それ"も生きていくのかもしれない。


だからこそ、僕の弔い酒は、君と、そして君達のおかげで、すっかり暖かく、愉しいものとなった。ありがとう。

最近、この酔っ払いの面倒を最後まで見てくれている幼馴染の君や、二十年以上、歳の差を越えて、同じ時代に生きた最高の仲間だと、そういってくれた君。どんなときも明るく笑ってくれる大阪弁の君。いや、数え切れない君達に。

そして、僕が5月からウイスキーを飲み続け、向かい合ってきた君に。

4月の終わり、僕は七杯目の焼酎をヒッカケながら、火葬場の外でただ流れゆく雲を眺めていた。この日、まだ蝉も鳴かず、風に波打つ葉がそっと耳元に届くような暗黙だったが、照り付ける陽射しだけは、まるで蝉の響きのように強く沸き立っていた。皮膚を突き抜け、僕の血と骨を奮わせているようなその感覚は、いつになく夏の頃を想わせる晴天だった。だからからか、ふと蝉の声が聞こえたような、そんな気がしている。出版社時代の友人・松本さんから「僕もいまそっちに向かってる」そうメールが入っていたし、壁ふたつ隔てた向こうでは、今まさに宮さんが燃えている最中だったので、エントツから煙でも見えるんじゃないかと思い、僕は何となくそのまま外にいた。ふと松本さんが現れ、交差するように仕事を控えたためか、やむなく帰り際の大熊君とみわさん、ただ飲む僕の四人で時が重なった。ポツリ「煙が見えないね。」と大熊君が言った。そして漂う雲の中、言葉を交わす。風は新緑の香を運んでいただけで、ただ、それだけだった。

故・宮明夫(宮さん)が亡くなったのはつい経たぬ前。僕は数週間、お手伝いのためデザイン会社へ向かう通勤電車を待っているときだった。ソライロヤのトンちゃんから訃報が入り、それからの数時間、記憶はない。ただ無茶苦茶に時間が早く流れている感覚と共に、焦りと涙が止まらなかった。誰かに伝えなければ、共有しなければ意識がもなたかったのかもしれない。宮さんの住む"国立"に急ぎ向かったのと、かめちゃん、レツジさん、鈴木さん、堀江さん、大熊君と連絡をとった事だけは覚えている。

その後、向かおうとしていた会社にも遅れると一報を入れ、鬱蒼とした視界の中、ただふらふらと街を歩いていた。少ししてから、昔、宮さんが言っていたアノ言葉や、時折届いた手紙の言葉を思い出そうとしていたが何故か、その時だけはちっとも思い出せずにいた。しばらくしてから、デザイン会社へ行くとJ君が何も言わず背中を叩いてくれた。そして、夕方に差し掛かる時、偶然にも宮さんの仕事仲間でもあるレツジさんに人形町で出くわし、仕事の合間の数分、一緒に煙草を燻らせ語った。その晩、吉祥寺でまどかとの約束の夕飯に行った時も、初めは我慢しようと思っていた僕に、泣きたい時は我慢しなくていいと。そう、この日、幾つもの手が僕の背を叩いてくれていたのだった。

もう葬式場では泣けないな。そう感じるほど、バカみたいに。泣いた。

2007年5月―――四月末の葬式も終わり、功さん、レツジさんに予定を聞き、僕は遺品整理へと駆け出た。国立駅で下車し、大学通りを久しぶりに歩く。丁度、ゴールデンウィークという事もあり、街は賑わいを見せていたが、それを背にするように数人が集まっていた。彼の生前、僕は「また絵を描かないのか」と何度か聞いていたのだけど部屋にその気配はなかった。大量の洗濯物やCD、本、そして大学ノートに書かれていたボールペンの痕跡だけが、もうこの世にはいないのだと、そう厳しい表情を突きつけていた。絵を描きたかっただろう。ポツリ想いが出る。そうして整理していくうちに使われなくなった絵筆がゴソゴソと出て来たので、僕はそれをトンちゃんと分けようと手にした。本来なら筆も共に燃すべきだったのかもしれない。しかし筆は"まだ生きたい"そう言っている気がしてならなかったので、彼の遺品と僕はアトリエでウイスキーを交わす事にした。そして、帰り際、新品のマッチが一箱、目に留まった。ふと僕は、出版社時代の木下さんが恋しくなり、このマッチで一緒に煙草を吸おうと、それもホコリまみれの上着のポケットにそっと入れた。

それから数日間で彼と仕事を共にした出版社やつながりがあった各所へ行き、また、中神書林へと古本の整理をお願いに出向き、「死んだ男の残した本」へと辿り着くのだった。

宮さんと初めて出会ったのは確か1992年頃だっただろうか。近所に住む舞台美術を生業としていたソライロヤのトンちゃん家だった。僕は父親に育てられた記憶がほとんどなく、そのためか、近所の芸術家や大人達が集まるこの家が面白くて仕方が無かった。年中、学校をサボってタムロしていたのだ。ある日、強面のオッサンがソファーにドッカリ座り、煙草の煙に混じりながら、ブツブツと、そして静かにコーヒーを飲んでいた。「あっコレ宮ちゃん」そうトンちゃんに紹介され、その強面からは意外に、オチャメな声で返事をしたのが宮さんだった。宮さんは当時、風の旅団以後も舞台美術やアートワークしていたのでその画業の話を聞くのが面白かった。そして、色塗りの手伝いも少しした1994年、野戦の月の旗揚げ公演「幻灯島、西へ」に至るまで、時折、顔を見せる宮さんと様々な話をしたのを覚えている。一緒に早稲田あたりへ天ぷらを食べに行ったり、宮さん家でコーヒーを飲みながらベト戦、フォークソング、舞台美術、様々な話をした。

それから、再び宮さんと会うまで、しばらくの猶予があったのだけど、手紙をちょくちょくいただいていた。その中にある言葉のヒトツは当時、やさぐれていた僕を助けてくれたし、別の手紙では僕が憤慨するほど嫌なものもあったが、どちらもユーモアがあり、バカげていて嬉しいものだった。僕が高校を卒業すると同時に何故か宮さんが「聴講生として君と同じ高校にいっている。君が先輩なのは妙な感じだ。」と手紙をくれたこともあった。そう、その雰囲気は、どこか父親面を匂わせていたのだった。

そして、2001年―――僕は当時の恋人とたまたま見に行ったシカラムータのお台場公演で、偶然、宮さんと再会してから、出版社で一緒に仕事をするまで、僕のライブにも来てくれたり、西荻の喫茶店でコーヒーを飲んだり、幾度も世話になっていた。恋人と別れた時、「お前はバカヤロウだなぁ、あ~ぁお前はもう一生ムリッ。ば~かば~か」と相変わらず、初めは父親面を匂わせていた彼だったが、僕が絵を描き始めてからは次第にそうではなくなっていった。ただ、奇しくもであったのだけど、年ごと、日に日に、彼の表情は曇り、罵倒するように荒れていった。そこにはもう僕の知る宮さんはいなかった。けれど、それがどんな事なのか、わかっていたにも関わらず、僕は彼に対峙する事が出来ない臆病者だったのかもしれない。それを病気だなんだと片付けるのは簡単だが、そうではない。その事よりも、今、こうして古本屋の主人と僕がぶつかり合うように、本気で彼とぶつかりあえなかった事だけが今でも心苦しく、僕に言ったアノ言葉を思い出せ、バカヤロウ、そう言いたかっただけだった。大切な想いや言葉は、もしかしたら、いつか伝えてくれたその人にとっても大切なものになるのかもしれないと。しかし、僕は、遅すぎた。

d0129450_16532178.jpg友を求め―
そして、求められる者になれ―

あなたが1994年にくれた手紙だ。

僕は火葬前に棺へその手紙を収めた。
いただいた手紙を何故、返したのかは言わない。
けれどあなたになら、通じただろうと信じている。
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2007年11月23日、そう、僕は今日、ここで飲んでいる。今日はまだ人も少なく、古本屋の主人と二人で絵の話、音楽の話、文学、映画、死んでいった仲間の話、好きな子の話、そして殴り合いながら爆笑しあい、君の話もちょくちょく出ている。あの本がいいとか、切り抜きも書き込みも売りものにならないぞ、とか、絵を描いてるか、とか、会った事もない人間と友達になれることだってあるかもな、とか。それから、つるさんが来て、ともちゃんが来て・・・・・・少しずつ、少しずつ、暖かく、賑やかになってきた。さぁ、向かいの店に流れようと―――

この追憶の行方も、結ぶ言葉も持たない冬へ。

想う―――

2007.11.25 KashiharaShinpei
http://www.kashiharashinpei.com/


※ちなみにこちらのホームページを作ってはみたが、古本屋のネット環境が古いため、(IE5.0??)当人や猫でも見やすいようアナログな作りにしてある。あと向かいの店に流れてから、電話では話していたメガネの人にようやく出会えたのだけど、ろくに話も出来ないほど、テキーラ地獄だったため、それが悔やまれた。今度ちゃんと飲みたい。
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by nakagami2007 | 2007-11-25 04:31
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