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ガロとCOM

金曜日にたまに呑む映画好きのC君と話をしていて、レンタルビデオ屋に行きたくなった。店の移転作業で早起きをするようになってからずっと足が遠のいていたのだが、観たかった映画があったのだ。タランティーノの「デスプルーフ」とロドリゲスの「プラネット・テラー」だ。アメリカではその二本立で公開された、B級テイストが満載の映画だ。タランティーノの映画にはイカれてるイカした奴らがでてくるのだが、登場人物が「バニシングポイント」や「ダーティ・メリー クレージー・ラリー」などの夢中になった映画の話をしているシーンはワクワクする。ロドリゲスの「シン・シティ」のDVD特典映像で、タランティーノとロドリゲスが話している様子は映画好きのただの子供のようでうれしい。時間指定、座席指定になった映画館に行く事はほとんどなくなったが、DVDは大量に借りていた。評判の良い映画なども観てるのだが、映画の話になると頭に浮かぶのは「デスペラード」の1シーンや「呪怨」の這っている女優(の大ファンなのだ)の姿ばかりなのだ。

そんな話をしている時の酒は愉しい。金曜日に初めて来たお客のH君は面白い本をいろいろと買ってくれたのだが、その後一杯呑んでいる時に漫画雑誌の「ガロ」の話になった。話してる内に「ガロ」と出会った頃の事を思い出していた。

世田谷に引越してきたのは、中学2年の新学期の春だった。引っ越し先の尾山台の駅前にある商店街に古ぼけた貸本屋があった。懐かしかった。小学3年まで愛知県にある小さな城下町のはずれに住んでいた。その頃はまだ車社会になりつつある時で、私鉄と国鉄の駅や、町の中心部にある繁華街から住んでいたその町のはずれまで路面電車が通っていて、そこから逆方向には隣の市へと繋がる私鉄が走っていた。それらはちょうど引越した頃には廃線になってしまった。その小さな駅前の通り沿いにあった二軒長家のひとつに住んでいて、玄関の土間で母親が貸本屋をやっていたのだ。玄関なので駅の売店よりも狭かったのだと思う。しかし毎月出版されていた月刊漫画誌をすべて読む事ができる最高の環境だった。江戸川乱歩や海野十三にも夢中になった。引越してからは毎月漫画誌を買うような事はできなくなったが、週刊の「少年マガジン」と「少年サンデー」が創刊された時には小遣いのすべてをはたいて買ったものだ。

尾山台の駅近くの貸本屋に初めて入った日に、漫画雑誌の「ガロ」と永島慎二の単行本「漫画家残酷物語」に出会った。「ガロ」には白土三平の「カムイ伝」と水木しげるの「墓場の鬼太郎」が連載されていて、それまで読んでいた少年漫画とはまったく違うタッチの暗い画風に引き込まれた。それから毎月の発売日が楽しみになった。永島慎二の「漫画家残酷物語」はデフォルメされたモジリアーニの素描のような絵だった。短編の連作で登場してくる漫画家は皆、商業主義に毒されない良質の漫画を描きたいと願っていて、結局報われずに挫折して死んでいってしまうというような話ばかりだった。新鮮だった。それからしばらくしてガロに、つげ義春の作品が載るようになった。そして「ねじ式」に出会ったのだ。その頃では、見た事のない種類の漫画だった。「ねじ式」の後では、つげ義春の何げない旅の叙景を描いた佳品も待ち遠しくて仕方なかった。

「COM」が創刊されたのは、もう少し後になる。手塚治虫がライフワークという「火の鳥」や石森章太郎の「ジュン」の連載があったが、何よりも永島慎二の「フーテン」が楽しみで毎月購読していた。「フーテン」は描けない漫画家の本人とその周辺の連中が毎晩新宿で酒をのみ、JAZZを聴き、ラリってとりとめのない会話をし、昼間の山手線で寝るといった日常を描いたものだった。その影響で新宿にあるJAZZ喫茶や「風月堂」に行くようになった。何もしないでゴロゴロしている若者たちがたくさんいたが、その頃の社会には将来に対する漠然とした不安というようなものは余りなかった。ドロップアウトする事も社会復帰をする事も軽やかにできそうな気がしていた。何よりもそこには、ダメになる自由があった。今では反社会的である事、例えば健康に悪い事をするというような事は大きな罪悪感を持たされる社会になった。脅されている内に不安症状ばかりが肥大していく社会になってしまった。資産家の子息クリスが全財産を寄付し、自分の足で歩き続ける放浪の果てに餓死をしたノンフィクション「荒野へ イントゥ・ザ・ワイルド」が映画化されて、もうすぐ公開される。

「COM」は漫画好きが投稿するかっての「漫画少年」のような役割をになっていて、「ガロ」も斬新な作風の新人が続々と登場した。そこには稿料を貰うという制約がほとんどなかったので、ただ描きたいものを描くというプロとアマの境界が消失した時代だった。それらは今は同人誌やネット上にあるのだろうか。

*店舗を移転して、あっという間に1年半以上が過ぎた。年をとるごとに時の流れはどんどんと速くなるが、そうでなければ変化のない日常に疲れてしまうし、楽しかった一日の終わりを惜しむような事もなくなるだろう。またこの1年半の間、店で毎週酒を呑んでいた事になる。愉しい酒もたくさんあったが、間が持たずにただひたすら呑む事も多かった。やがて自然と同じような顔ぶれで呑む事が多くなると、他の人が入ってこられる余地は減る。店の営業としての意味もない。部屋でチビチビやっている分にはいいのだが、年をとり深酒が土日にひどく残るようにもなった。部屋ではエアコンも扇風機も使わない暮らしをしているのだが、夏毎に暑さは厳しくなるように感じる。夏の陽射しを青春の輝きと同じように感じる人もいるのだろうが、日曜の午後に缶ビールを飲みながら散歩をしていると、金曜のダメージもあって具合が悪くなる事ばかりの、ただつらいだけの季節だった。

休日、秋空の下でうまいビールを飲んでいたい。肌寒さを感じる大気に包まれて日本酒を味わっていたい。そんなわけで、毎週金曜の酒を休止しようと思う。懐かしい人や新しい人に会えたら、また呑みましょう。こちらには滅多に来られないという方は遠慮なく、酒を片手に寄って下さい。いつも良い酒を友に。
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by nakagami2007 | 2008-09-02 14:23
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