秋も深まった頃、何度か飲んだ事のあるT君が友人のH君と二人展をやるというので、久しぶりに国立の駅前に寄った。彼らは来年何回目かになる美大受験生だ。ギャラリーでみる二人の作品は確かなデッサン力もあり、良くも悪くもずいぶんと真面目に描き込まれていた。H君が自家製本した限定本も驚くほど丁寧な作業がされていた。しかし今の受験は過去とは違って発想力が問われるらしく、実技で出される課題のテーマによって左右されてしまう部分が大きいようだ。今、店には二人が共作した油絵が置いてある。
その少し前の事だが、T君が同郷の友人である貧乏学生のK君を連れて、さきいかの大袋を手みやげに顔をだした。金曜の飲み会を休止した後で、小さい冷蔵庫の中には誰かが置いていった酒がたくさん残っている。「それでは、飲み干しますか」となった。店を開けたまま始発まで飲んだ。彼らは中学生の頃にバンドを組んでいて、「銀杏ボーイズ」の曲などをやっていたという。銀杏ボーイズは大好きなバンドだ。K君の貧乏と屈折の日々も楽しい酒の肴になった。途中で元番長で音楽をやっているY君が、地方帰りでギター片手に顔をだした。K君は屈折力満載の自作の曲を唄い、T君は吐いていた。T君は来年は他の大学も受験するらしく、「来年の学園祭に来て下さい、一緒に暴れましょう」と言った。 秋に散歩をしていると、学園祭と出会う事が多い。そんな時は必ず寄る事にしている。安い酒とつまみが大量にあるからだ。そしてそこには、その一瞬だけ現出した幻の解放区のような雰囲気が残っていた。しかしここ数年は、その空気が変化していた。今年になって、どこに寄っても酒が消えていた。酒も喫煙所もなくなり、持っていた酒のポケット瓶まで学生に没収されてしまった。ダンスやコスプレのパフォーマンスはますます派手になっているのにだ。そんな風潮に違和感を覚えて、どこかで車座になり一升瓶を抱えて激論をかわしている一団でもいないかと思ったが、ジュースと焼き鳥や焼きそばをもって談笑している姿ばかりで、そんな連中はどこにもいなかった。 神もイデオロギーもアートも同じものだ。人はコツコツと真面目に暮らしていても報われない事が多い。いつ失業したり病気になったり事故にあうかもしれない理不尽を生きている。それを埋めるために宗教やイデオロギーやアートをうみだし、その社会を維持するために変節させながら利用してきた。それがうまく機能しなくなってきた。自分が正しいと思う事に過敏で、許容量が減った。今日の正義が明日の悪かもしれないと言う事に思いが至らなくなった。その先にあるのはファシズムだ。自分のいる現実を変える事は難しいが、すべては人が生み出したものである。犯罪者である自分も皇帝である自分も想像し、思考する事はできる。人はそれぞれ違うが、想像し思考する事に寄って折り合いをつけ、地道な外交努力を続けるしかない。どこの学園祭に行っても、そこには「排除」しかなかった。 新刊の本屋に入ると簡単に答えを手に入れることができる実用書が大量に並んでいる。わからない言葉があれば、パソコンを開けばたった数行でわからせてくれるサイトに行く事が出来る。しかし意味は無数にあり、答えはどこにもないのだ。 資本主義が終わりの始まりを迎えた秋に、懐かしい名前を目にした。ノーベル文学賞を「ル・クレジオ」が受賞したのだ。1970年の頃の僕の本棚にも「大洪水」と「愛する大地」と「物質的恍惚」があった。彼は近代文明に対する大きな疑問符だった。
by nakagami2007
| 2008-12-26 21:01
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